ABOUT

I — THE ARTIST

芸術家の誕生


14歳のとき、家の書斎にあった画集で、尾形光琳の作品に出会う──まだ「琳派」という言葉も知らなかった。けれど、その衝撃とも云える感動は、自分の生涯をどう生きるべきかを、一点の迷いもなく示していた。


この芸術の精神を、自らの時代に甦らせるのだ、と。


京都教育大学の特修美術科で日本画を専攻する。芸術を創造することと、美を次の世代へ伝えること。その二つは、やがて彼女の生涯を貫く一つの使命となっていく。


大学で学んでいた頃、ある教授から、数十年後にはコンピューターが創造する時代が来ることを見据えておくべきだと教えられる。

では、その時代に、人間にしかできない創造とは何だろうか──。


その問いを胸に、彼女が思い至ったのが金箔だった。


一万分の一ミリほどの、極薄の金属。光を受けて絶えず表情を変え、触れる手のわずかな動きにも応える。そして何より、その神聖さをたたえた崇高な輝きに、深く魅了された。


その繊細さと美しさに、人間の感覚と技術が生み出す創造の可能性を見いだした。


以来、金箔は単なる伝統素材ではなく、未来の技術と人間の創造性を問い続けるための、彼女自身の芸術表現の核となっていく。

1979年、日本の将来を担う国際的な人材の育成を目的とした日本政府給費留学制度により、全国の国立大学から選ばれたわずか45名の留学生の一人となる。うち22名がアメリカ、23名がヨーロッパへ派遣された。


自ら選んだパリ国立高等美術学校(École nationale supérieure des Beaux-Arts)の入学試験に合格。ヨーロッパの伝統的な絵画技法を学ぶため、フレスコ画を専攻する。アルベール・ル・ノルマン教授の指導のもと、幅12メートル、高さ3メートルに及ぶ大規模なフレスコ壁画を制作し、完成させた。


伝統技法を学ぶのは、過去を繰り返すためではない。そこから自らの時代にふさわしい、新しい技法と表現を生み出すためだった。

日本画からは箔と線を、フレスコからは壁の尺度を、身体で学ぶ。二つはやがて一つの言語となる──建築の尺度で響く金。

2007年より国際造形芸術連盟(AIAP/ユネスコ)モナコ国内委員会の会員となり、2009年、同委員会の展示場で「21世紀琳派展」を開催。

2010年、ニース県立アジア美術館での個展「RIMPA MODERN de Yoko Grandsagne」において、21世紀の琳派を宣言する。開幕には在マルセイユ日本国総領事が祝辞を述べ、会期は延長を経て約9か月に及んだ。


《IRIS》二連作(260 × 195 cm)は、この年より同美術館の所蔵となり、以来常設展示されている。

三連作《JARDIN ZEN》(390 × 195 cm)は同個展で発表され、2012年にはウィーン・ベルヴェデーレ美術館の「GOLD」展に出品された。

同展のカタログでは、彼女の《IRIS》が、尾形光琳の燕子花から、日本美術の影響を受けたフィンセント・ファン・ゴッホの《アイリス》へと連なる芸術的系譜の中で論じられている。


三連作《Mer et Soleil Levant》(390 × 195 cm)は、モナコ・ヨットクラブに常設展示されている。


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II — HAUTE COUTURE

オートクチュール — 纏う(まとう)琳派


1983年、パリのクリスチャン・ディオールにて、マルク・ボアンのもと、オートクチュールのスタイリスト・デザイナー(Styliste-Designer de la Haute Couture)に抜擢され、1989年までアクセサリーのデザインに携わる。この職に就いた日本人は、彼女ただ一人である。

琳派は屏風の中だけの芸術ではなかった。光琳は京都の呉服商に生まれ、その意匠は着物に、漆器に、扇に生きた。ディオールでの創造を通じて、芸術が人の身体と日常に生きる可能性を深めていった。


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III — A VIEW ON THE WORLD

世界を見つめる眼


1991年から1993年にかけて、フジテレビ系FNN『WORLD UPLINK』(東京・パリ・ニューヨークを生中継で結ぶ朝の情報番組)を、当時チーフディレクターであった日向氏とともにパリで立ち上げ、取材と撮影チームを率いる。

当時パリ市長、のちに大統領となるジャック・シラク氏、ジスカール・デスタン元大統領らにインタビュー。手がけたルポルタージュは110本を超え、全国ネットで放映された。

芸術は世界から離れて在るのではなく、世界に応えるもの。芸術家の眼差しは、取材と撮影の現場でも働き続けた。


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IV — ART AT THE SERVICE OF HUMANITY

「人」のための芸術

2011年、東日本大震災の被災者支援のため、モナコ・ヨットクラブにチャリティ・ガラを発案・提案。

それまでチャリティのための資金調達イベントを開催しない方針だったクラブが、特例としてこの催しを実現した。

自らの芸術作品を販売して義援金を募り、アルベール2世大公より、その場で公に謝意を受ける。


ART AS PEACEは、理念となる前に、すでに行いだった。


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V — THE ART OF LIVING

生き方という芸術

大学を終えてすぐパリに戻り、フランスで家庭を築き、一人の娘を育てる。子育てもまた、彼女にとっては一つの創造だった。

愛と美、そして命の尊さを育むこと。それは芸術を創造することと同じく、人間の未来を育てる営みだった。

パリと南仏ニースを拠点に歩んできた道のりは、そのまま「生き方を芸術にする」実践だった。外から日本を見つめてきた歳月は、美を何より大切にしてきた日本の精神を、彼女の中でいっそう深く育てた。


MEDITATION

瞑想

幼少期から日々続けてきた瞑想。人間の生と意識への長年の探求は、彼女の芸術と生き方の根底を流れている。美しく生きるとは、かたちを整えることだけではない。自らの内面を見つめ、命の尊さを感じ、他者との関わりの中に美を見いだすことであり、それを生きることである。


SHARING THE EXPERIENCE

体験を分かち合う

彼女にとって芸術とは、人がより豊かに、より幸福に生きるためにある。科学も哲学も、医療も食も経済も、そしてAIも、本来は同じ目的に仕えている。光琳が衣装や器を、茶の湯が一服の茶を芸術にしたように。

すべては芸術になりうる──在り方、生き方次第で。

その探求は、言葉によっても手渡される。

2017年6月、ユネスコ世界遺産アルケ=スナン(Arc-et-Senans)の王立製塩所で開かれたシンポジウムに招かれ、フランス語で初の講演「La méditation peut-elle changer la vie ?(瞑想は人生を変えうるか)」を行う。

2018年1月、パリのCercle de l'Union Interalliéeで、二度目のフランス語講演「Le secret des centenaires(百寿者の秘密)」を行う。日本の百寿者の暮らしに息づく知恵を、生き方の芸術として語った。

長年の探求から得たものを、一人ひとりの人生へ。


ART THROUGH DIALOGUE

対話の中の芸術

Cercle de l'Union Interalliéeは、1917年、連合国の要人たちを迎えるために創設され、戦後も国境を越えた交流と親睦の場として受け継がれてきたパリの由緒あるプライベートクラブである。

同クラブの会員として、日本の芸術、文化、思想、哲学、科学、政治など多岐にわたり、さまざまな分野の人々と対話を重ね、文化を越えた相互理解と平和への思いを分かち合っている。

そこでは芸術は展示されるのではなく、実践される──対話に、佇まいに、他者へのまなざしに。

外交官になってほしいという両親の願いは、芸術家というかたちで、いま叶えられているのかもしれない。


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VI — LIVING RIMPA, CONNECTING WORLDS

生きた琳派で、世界を結ぶ

日本画とフレスコ、金箔と建築、そして最先端のデジタル技術へ。

伝統を受け継ぐことは、過去を繰り返すことではない。異なる時代と文化の技法を結び、新たな美の可能性を生み出し続けること。その探求は、AIという新たな技術の時代にも続いている。

京都の学生時代に、彼女が出した答えは金箔だった。それから半世紀近く。AIを搭載したロボットは現実のものとなりつつあり、AIによる創造は、かつて想像された限界をはるかに超えた。だが彼女は、よろこびに満ちてその未来を見つめ、揺らぐことなく金箔に向かい続けている。

AIとロボットの進化を否定するのではない。技術の可能性を受け入れながら、人間の感覚と美意識が生み出す創造の意味を、さらに深く探求するために。

カンヌ世界AI祭(WAICF)と世界AI映画祭(WAIFF)を主催するInstitut EuropIAにて、会長マルコ・ランディ氏(元アップル・ヨーロッパ社長、元米アップル社COO)よりアンバサダーに任命される。

WAIFFの日本・韓国開催に貢献。2026年3月、日本初開催となった京都では「Tradition × Innovation」がテーマに掲げられた。同年同月、ソウルでも開催。

技術がどれほど進んでも、信念は変わらない。AIは人の美意識に仕えるものであって、それに取って代わるものではない。

「世界はいま、美を基調とした精神と芸術を、かつてないほど必要としている」と彼女は語る。

RIMPA21 MUSEUMから、世界へ。そして22世紀へ。

光悦・宗達から光琳へ、抱一へ、雪佳へ──およそ百年ごとに甦ってきた琳派。19世紀後半には海を渡り、ジャポニスムの潮流の中で、西洋の芸術家たちをも魅了した。

その四百年の流れを絶やさず、21世紀に再び開花させ、次の世代へ手渡すために。琳派の美意識が、美術館の中だけでなく、世界の日常に息づくように。

今日も、一枚ずつ金箔を置く。